「列車直通のはじまりと変遷」
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西条 浩志:京都大学鉄道研究会会員(OB) 鉄道史料保存会「鉄道史料」編集長
鉄道は人と貨物を輸送するために存在し、一つの線区内で輸送が完結しない場合は、他線区との接続点をこえて連携輸送がなされる。明治期の鉄道会社は、自社線区の規模に
応じた機関車を必要数だけ配備し、その機関車の牽引定数近くまで客車・貨車を連結した列車を、日に数本運転した。このため、自社線区をこえて
他社線区まで直通させようとすると、接続駅で機関車を交換するのが普通であった。もし機関車をそのまま直通させると、航続距離が不足するため、乗り入れ先での給水・給炭が必要になった。
私設鉄道の建設には法律による許可を要し、官設鉄道とあるいは私設鉄道同士で車両が直通可能なように法律で規定されていた。認可時により細かい指示がつくこともあった。
このおかげで、貨車は早くから他社線区に直通していたが、旅客は接続点で徒歩で乗り換えできるため、他社線への客車の直通は遅れた。鉄道路線の建設によりネットワークが
形成されるにつれ、貨車だけでなく客車、さらには列車としての直通が普通になってゆく。ただ、列車が直通する理由はさまざまであり、時代と共に変遷してゆく。本稿では
客車列車が他線区に直通運転するに至った理由やそのために講じられて方策を、特徴的な例をもとに考えてみたい。
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「東京ステーションシティと東京駅開業100周年の取組」
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楠本 祐二:東日本旅客鉄道(株) 東京支社総務部 担当部長、 東京ステーションシティ運営協議会 事務局長
近年、JR東日本では東京駅をひとつの大きな街として捉えた東京ステーションシティプロジェクトを推進しており、首都東京の「顔」、そして日本の文化・ビジネス・伝統を融合させた「街」にすべく、
丸の内駅舎保存・復原や商業施設の拡充など、駅機能の再整備に取り組んできた。
また、エリア全体の価値向上を図るための主体的・自律的な組織として、東京ステーションシティ運営協議会を発足させ、さまざまな活動に取組んできている。
2014年は、1914年12月20日に東京駅が誕生してから100年目を数える節目の年であり、東京駅のこれまでの取り組みを紹介する。
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「ICTを活用した車両メンテナンス業務の変革」 |
児島 邦昌 :西日本旅客鉄道株式会社 執行役員IT本部長
西日本旅客鉄道株式会社(以下、JR西日本)の車両メンテナンス業務は、システム化が遅れており、そのシステム化範囲は経理・資材業務ならびに一部
の検査計画業務に留まっていた。そのため、大部分は紙を用いた業務となっており、検査結果データなどが車両品質分析に充分活かされていなかった。
また、検査計画業務等はベテラン社員の経験に頼るところが大きく、大量退職時代が迫るなかで若手社員への技術継承が急務であった。
このような状況を抜本的に変革するため、車両メンテナンス業務をほぼ網羅した新車両情報システム(Ris-e)を開発した。本システムは稼働から3年が
経過しており、車両品質の向上、経費節減、業務の標準化・均質化において着実に成果を挙げている。本編では、新車両情報システム開発の全体像について紹介する。
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[統計講座] 輸送密度から鉄道の本質が見える 「第8回 新幹線の建設順序」 |
大内 雅博 :高知工科大学社会システム工学教室教授
要旨:1970年に成立した全国新幹線鉄道整備法に基づいて計画された新幹線の建設順序を、各線区の在来線時代の普通(=定期外)旅客輸送密度から検証した。
同法に基づく「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」に影響を及ぼしたと想定した当時の各線区の普通旅客平均輸送密度の1970年度における値の
、実際の新幹線開業(予定を含む)年との関係を調べた。その結果、最初に建設された東北新幹線盛岡以南および上越新幹線は、県庁所在地間を結ぶ区間として、1日
当たり平均輸送密度2万5千人以上と他区間より高かった。これらを上回っていたのは常磐線水戸以南および北陸本線金沢以南のみであった。以後の整備新幹線建設は
、在来線輸送密度の高い順というよりはむしろ国土を縦貫する軸の整備に主眼を置いてきたと言える。
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