JR西日本の鉄道文化活動の取り組み
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城市 孝志:西日本旅客鉄道株式会社 広報部 鉄道文化推進室長
JR西日本では、鉄道文化財の保存・管理の取り組みとそれを活用する活動を「鉄道文化活動」と捉え、積極的な取り組みを行っている。鉄道文化財については、国鉄から継承した
「鉄道記念物」、「準鉄道記念物」というこれまでの制度に加え、当社独自の制度である「登録鉄道文化財」という枠組みにより、保存・管理を進めている。また、当社が有する
鉄道文化財から2点、国の「重要文化財」に選定されており、当社が保存している資料の歴史的価値が評価されている。さらに、当社が鉄道文化活動を推進する上で欠かせない施設
である「京都鉄道博物館」が2016(平成28)年4月に開業し、今年3月下旬には年間目標を超える140万人のお客様にご来館いただいた。当館は「見る、さわる、体験する」を重視した
展示構成としており、53両の貴重な収蔵車両をはじめとする、数多くの鉄道文化財を展示している。今後も鉄道文化財の収集・保存や調査・研究を進め、鉄道文化を継承するべく、「鉄道文化活動」を推進したい。
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地方自治体における交通施策の調査 --高齢者事故関与率の低減--
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中村 秀夫 :一般財団法人 交通統計研究所
近年、交通事故全体は減少傾向にあるなか、高齢者(政府資料では65歳以上と分類されている)の交通事故が相対的に増加し、社会問題化している。
これらの高齢者は、人生の大半を自動車社会に活動した人々であり、自動車抜きの生活は考えにくく、今後も自動車の利用は避けられない。
これらの対策として、国及び自治体は70歳以上の高齢者には免許更新時に運動能力、判断能力をチェックし、本人に自己の運転能力の低下を自覚させ、免許の返納、運転機会
を減らすように要請している。
しかしながら、大都市域内及び大都市間の交通サービスは、列車本数増、線路増強、新幹線の建設などにより拡充されている中、地方都市地域での公共交通サービスは
低下する一方であり、地方生活者にとっては、移動手段として、自動車を使用せざるを得ないということが実情である。
このような状況にあって、高齢者の事故関与率を下げるため、各地方自治体がどうゆう対応をすることが効果的か調査した。
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鉄道会社と企業家精神 --雨宮敬次郎生誕170年によせて--
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今城 光英 :大東文化大学経営学部教授
雨宮敬次郎(あまみや・けいじろう 1846〜1911年)は、相場師として出発しながら、明治期を通じて鉄道会社の起業と投資に没頭した人である。敬次郎は、日本が幕末に開港して以降、世界経済に組み込まれながら経済成長へ
向けテイクオフする時代に、旺盛な起業と投資を通じて至富行動を繰り返し、経済界の巨頭と称されるにいたった。
日本の鉄道ネットワークは、政府の主導で建設され、政府資金の不足を補う形で、私設鉄道法に基づく鉄道会社が建設した。鉄道当局は、私設鉄道会社に対し強力な規制を加え運営に介入した。私設鉄道会社に対する出資者は
旧支配者層であった華士族と、有力な商人地主層、炭鉱主などだが、彼らが鉄道経営に主体的に参加することは稀であった。
一方で、農民、商人の出身でありながら、鉄道への投資を手掛ける人々が出現し、投機的な行動を含みながら、ネットワーク形成の一翼を担うようになる。彼らは、鉄道経営そのものにも関心を示し、ある時は投機の舞台として
鉄道会社を利用した。
その中で、農民出身の雨宮敬次郎は、政財界人との情報交換を重ねながら、自立的な鉄道経営を目指し奔走し、収益性の高い鉄道会社を育成する。敬次郎は、鉄道会社における専門経営者の必要性を説き、市内電車へ低廉な
均一運賃の適用を主張し、投資額を抑制した軽便な設備によって農山魚村へ鉄軌道を延長するなど、商人的な才覚を発揮して鉄道事業に取り組んだ。
蓄財という面からみれば没後に残されたものは多くないが、敬次郎が創業に係わった鉄道のいくつかは今日なお盛業中である。本稿では、雨宮敬次郎の生涯をたどりながら、国有化以前の時期に、政府主導でない鉄道に係っ
たアントレプルナーシップを紹介したい。
※ 本稿は、筆者が「雨宮敬次郎生誕170年-アメリカ旅行と軽井沢の開拓-」と題して2016年6月5日に軽井沢町立図書館で行った講演の原稿に補筆したものである。
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[鉄道施設探訪記] 「第7回 末広橋梁(四日市市)と山本 卯太郎」
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小野田 滋:公益財団法人鉄道総合技術研究所情報管理部担当部長
鉄道にまつわるさまざまな施設を紹介するシリーズである。多くの鉄道施設は見慣れた風景の中にとけこみながら、さりげなく存在している。このシリーズでは、そうした日常風景に埋もれた「逸品」にスポットをあて、その「真価」を紹介している。ここに登場する鉄道施設は、誰でもが知る鉄道施設ではなく、
むしろ知る人ぞ知るような物件ばかりだが、このシリーズによって黙々と鉄道輸送を支え続けてきた鉄道施設の存在を再認識していただければ幸いである。
三重県四日市市の貨物専用線に架かる末広橋梁は、鉄道用としては今も可動状態で使用し続けている唯一の橋梁で、1998(平成10)年には国指定重要文化財に指定され現在に至っている。今回は、末広橋梁の沿革や特徴について紹介するとともに、末広橋梁の設計者である山本卯太郎のプロフィールについても触れてみたい。
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Scottish Links to the Development of the Railways in Meiji Japan
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Dr.Ian Buchanan Smith : 元(財)交通統計研究所リサーチ・フェロー、元 ネイビア大学ビジネススクール選任講師
[要旨]
日本が工業化し社会構造が変化した19世紀後半におけるスコットランドと日本の関係に関する英文和文の研究実績は、過去30年間に相当数の蓄積がありました。筆者は特に明治期における日本の鉄道建設について、スコットランド
人による関与に焦点を当てることとします。この論文は、1853年から1900年の間を対象としますが、その中でも特に明治改元後の早い時期に重点を置きます。
ここでは、形成期における日本の鉄道システムにおいて、その設計、建設、資金調達に貢献したスコットランド人の役割を検討します。トーマス・ブレイク・グローバー、リチャード・ヘンリー・ブラントンなどのスコットランド人
が、日本の工業化プロセスに寄与したことはすでに知られていますが、特に鉄道網の発達にかかわる実績に言及します。
また、日本における鉄道建設のための技術や資金調達にかかわりながら、比較的知られていない何人かのスコットランド人の業績について明らかにします。筆者は、工業化という重要な時期に訪日しあるいは在住した、より幅広い
範囲のスコットランド人に触れます。それは、鉄道技術者のジョン・ディアック、ジョン・マクドナルド、ウォルター・マッカージー・スミス、銀行家のアレクサンダー・アラン・シャンドなどです。彼らは「隠れた英雄」であり、筆者は
彼らの業績が、グローバーやブラントンなど著名な人たちと同じように評価されることを願っています。
本稿では、スコットランド人と関係を保ちながら、日本の経済と社会の発展に尽くした多くの日本人についても触れます。山尾庸三、南清など個人や、伊藤博文、井上勝などは、スコットランドを訪れて勉強したか、あるいは日本で
スコットランド人とともに働いた経験があり、ここで取り上げる価値があります。彼らは、19世紀後半の日本社会において重要な役割を果たしており、スコットランドとその文化が日本社会の発展に貢献しました。
この論文で次の二つの目的を達することができれば幸いです。一つは、すでに公式に認められたスコットランドと日本の人たちによる鉄道建設に対する評価を確認することであり、もう一つは、あまり知られていない「隠れた英雄」に
対して、彼らが日本の経済、社会の発展に貢献した肯定的な面を評価することです。(論文は英語)
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