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交通と統計 2022年7月(通巻68号)



2022年10月31日発行
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京阪神地区を走行する新快速電車の半世紀を超えた歩み - 日本国有鉄道時代編 -
  
前田 昌裕まえだ まさひろ:公益財団法人交通文化振興財団 専務理事 京都鉄道博物館 館長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 運輸部 次長
福田 稔ふくだ みのる:株式会社JR西日本中国メンテック 新幹線事業部 次長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 運輸部 担当部長 兼 輸送計画課長
大森 正樹おおもり まさき:関西工機整備株式会社 取締役 印刷事業部長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 車両部 車両設計室 課長

 西日本旅客鉄道株式会社(以下、JR西日本)の近畿圏エリア路線の京都駅、大阪駅、三ノ宮駅、神戸駅の4駅を貫いて走行する新快速電車(以降、新快速)は、日本国有鉄道(以後、国鉄)時代の大阪鉄道管理局(以後、大鉄局)が、速達性を お客様に提供し、国鉄路線と並行する私鉄との競争力を高めるために計画され、1970(昭和45)年10月1日に京都駅〜西明石駅間で走行を開始しました。
 以降、国鉄・JR西日本を通じて、適宜に車両の入れ替え、新製車両の投入を行い、運行区間・停車駅・列車本数・1編成車両数等々の拡大、駅間所要時間の短縮に努め、現時点では、大阪駅を中心にして京阪神地区を走行し、北は 福井県の北陸本線敦賀駅、東は滋賀県の東海道本線米原駅、西は兵庫県の山陽本線相生駅を経て上郡駅及び赤穂線播州赤穂駅を運行区間としています。1列車の最長運転区間は敦賀駅〜播州赤穂駅間(米原経由)の275.5Kmです。新快速電車は、JR西日本の近畿エリア路線の列車群の中核に位置しています。
 以下に、半世紀を超えて歴史を刻んできた新快速電車の、国鉄時代の歩みを紹介します。
地下鉄博物館のあゆみ
  
大谷 泰彦おおたに やすひこ:公益財団法人メトロ文化財団 常務理事

 地下鉄博物館は、1986(昭和61)年に現在の東京メトロ東西線葛西駅高架下にて開館して以来、2003(平成15)年のリニューアルオープンを経て、今日まで多くのお客様を迎い入れ、現在に至っている。
 当館建設に至る経緯、そして開館後歩んできた道のりを、展示や様々な取り組みの変遷を追いながら紹介する。
[近代日本の技術の礎を築いた人々]  第7回 美術建築のパイオニアと謹厳実直のエンジニア -辰野金吾
  
大山 達雄おおやま たつお:政策研究大学院 名誉教授

  辰野金吾といっても、彼の名前をよく知る一般の日本人は、そう多くはないであろう。しかしながら、彼があの赤レンガ造りの東京駅の設計者であるといえば、誰もが納得するのではないだろうか。 東京駅のイメージは、松本清張の小説「点と線」、江戸川乱歩の「怪人二十面相」の題材となったこと、川端康成、内田百閧轤ェ東京ステーションホテルに長期滞在して彼らの作品を仕上げたこと、など、数多くの 著名な文学作品に現れ、扱われてきている。政治的には原敬首相が暴漢に襲われるなど、歴史の中でも多くの重要な役割を果たした舞台となってきた。 このことからも、国民のほとんどが東京の中の代表地点、そして日本全体の一つのシンボルとして、皇居に向かって立っている建物として認識しているのである。わが国の歴史、文化、風土の中のシンボル的な存在として 国民全体が無意識のうちに脳裏に焼き付いているといっても過言ではないであろう。その意味でも、辰野の名前はもっと多くの日本国民に知られてもいいのではないだろうかという思いの下に、辰野の生涯を眺めつつ、紹介する。
[鉄道施設探訪記]  第27回 三信鉄道の初代・天竜川橋梁 -飯田線から只見線へ-
  
小野田 滋:公益財団法人鉄道総合技術研究所 アドバイザー 

 鉄道にまつわるさまざまな施設を紹介するシリーズである。多くの鉄道施設は見慣れた風景の中にとけこみながら、さりげなく存在している。このシリーズでは、そうした日常風景に埋もれた「逸品」にスポットをあて、その「真価」を紹介している。ここに登場する鉄道施設は、誰でもが知る鉄道施設ではなく、 むしろ知る人ぞ知るような物件ばかりだが、このシリーズによって黙々と鉄道輸送を支え続けてきた鉄道施設の存在を再認識していただければ幸いである。                  

 東海道本線の豊橋を起点とし、中央本線の辰野までを結ぶ飯田橋は、中構造線に沿った急峻な地形を克服して、1937(昭和12)年に全通した。路線は、豊川鉄道(豊橋〜大海)、鳳来寺鉄道(大海〜三河川合)、三信鉄道(三河川合〜天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡〜辰野 )の4社の私鉄がそれぞれの区間を開業させ、1943年(昭和18)年に国策によって国に買収されて、現在の飯田線が成立した。 延長195Km(国鉄買収時)に及ぶ電化路線は当時の国内最長を誇り、特にその最難関の区間を建設した三信鉄道は、三河川合〜天竜峡間を結ぶ電気鉄道として1927(昭和2)年に着工して1937(昭和12)年に全通した。 三信鉄道の路線は天竜川沿いにトンネルや橋梁を連続させて建設され、俗に「山の地下鉄」と称された。ちなみに「三信」の社名は、旧国名の三河と信濃を結ぶ鉄道として名付けられたもので、社長には鉄道省OBの吉原重成(1880〜1945)が就任し、鉄道省OBの稲垣兵太郎(1869〜1943)が技師長として工事にあたった。
 
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