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交通と統計 2022年10月(通巻69号)



2022年10月31日発行
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西九州新幹線(武雄温泉・長崎間)の開業
  
瀧本 順治たきもと じゅんじ:独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 新幹線部 九州新幹線課 総括課長補佐(原稿提出時)
仮屋崎 圭司かりやざき けいじ:独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 新幹線部 企画課 総括課長補佐

 西九州新幹線として2022年9月23日に開業した九州新幹線(武雄温泉・長崎間)は、鉄道・運輸機構が建設主体として整備を進めてきた整備新幹線であり、 開業後は営業主体のJR九州へ施設を貸付け運行されている。
 武雄温泉・長崎間は工事延長約67Kmの路線で、このうち約6割をトンネルが占めており、駅は佐賀県内に武雄温泉、嬉野温泉の2駅、長崎県内に新大村、諫早、長崎の 3駅、計5駅を設置した。武雄温泉駅においては在来線特急と新幹線が同じホームでの対面乗り換えが可能で、これにより博多〜長崎間の所要時間は新幹線開業前の1時間50分から約1時間20分へと約30分短縮となった。
 本稿では、西九州新幹線の建設における特徴的な技術や各駅デザインコンセプトなどの概要とともに、平成30年度に実施した九州新幹線(武雄温泉・長崎間)事業再評価の報告書やJR九州公表資料に基づき、開業後に期待される効果について紹介する。
東急電鉄のルーツを振り返る - 東急グループ100年の歴史 -
  
城石 文明しろいし ふみあき:東急電鉄株式会社 代表取締役 副会長 副会長執行役員

 東急電鉄の歴史は1922年9月2日、目黒蒲田電鉄の創立から始まる。この目黒蒲田電鉄はさらに、田園都市株式会社(以下田園都市会社)を母体としていることから、本記述は 同社の創立にさかのぼって進めていく。同社は財界の雄・渋沢栄一が1918年9月、自然と都市生活が調和した「田園都市」の建設を目的に設立した。設立から4年後の1922年9月2日、鉄道事業部門 を分離して目黒蒲田電鉄が発足した。同社が合併や社名変更などの変遷を経て、現在の東急株式会社・東急電鉄株式会社に至っており、東急グループとしての歴史の出発点になる。 東急グループは、生まれながらにして「開発(宅地開発、地域開発、都市開発)」と「鉄道・バス(交通)」の二つのルーツと大きな事業領域を持ち、現在に至るまで、二つの事業を推進しながら、お互いに 成長のエンジンとなることで発展してきた。
 なお本稿は「東急100年史」(東急株式会社)から抜粋・編集を行い執筆した。
海峡連絡鉄道の輸送密度の推移を求める - 青函、本四備讃、関門の旅客と貨物- 
  
大内 雅博おおうち まさひろ:高知工科大学社会システム工学教室教授

 鉄道省時代から国鉄〜JRが集計・公表してきた統計から、海峡連絡鉄道である青函、宇高〜本四備讃、関門の3ルート4区間ついて、1940年から2020年度までの連絡船時代を含めた 旅客と貨物の輸送密度とその推移を求めた。 その方法は国鉄の分割民営化の前後で異なった。国鉄時代は鉄道の旅客及び車扱貨物の各駅間輸送量が公表されていたため、海峡区間の輸送密度はその駅間の旅客通過人数または車扱 貨物通貨トン数から直接求めることが出来た。非公開であったコンテナ輸送の各駅間通過トン数は、車扱と小口またはコンテナの2区分で公表された運賃収入をもとにコンテナ貨物の 輸送密度を推定した。各航路(連絡船)については、統計値から直接旅客と貨物の輸送密度を求めることが出来た。1987年に4月に発足した各JRは各駅間輸送量を公表していないが 、青函トンネルまたは瀬戸大橋の旅客輸送密度として、その区間を含む各路線の通過数量の分布を均一と見なし、それを管轄するJR各社が公表する輸送密度を採用した。 新幹線と在来線が並行している関門ルートについては、国交省集計の都道府県間輸送人数表を用いて求めた九州内外間の鉄道旅客輸送量と、別資料の新幹線のみの通貨人数から、新幹線・在来線 別の旅客輸送密度を求めた。貨物輸送密度は、国交省「府県相互間輸送トン数」を用いて各地方の内外間の通過トン数から求めた。 得られた輸送密度の推移から@海峡連絡鉄道の開業により直後に旅客も貨物も輸送量は大きくなった。しかし鉄道の利便性は現在が最高水準であるのもかかわらず輸送実績は必ずしも そうなっていない、A平成に入ってからも大規模な自然災害が輸送実績に大きく影響するようになったと、言える。
都市鉄道における新型コロナウイルス最新事情
  
平田 一彦ひらた かずひこ:日本交通学会 正会員(交通環境整備ネットワーク審議役)

 新型コロナウイルス感染症拡大(パンデミック)の鉄道への影響については、2021年10月発行の「交通と統計No65」において、都市鉄道を中心に、輸送需要や 鉄道企業集団に対する影響について分析を試みたところではあるが、それからおよそ1年を経過し、オミクロン株による第六波、第七波を経験する中で、新たな 情報や知見も積みあがっている。
 本稿では、主要鉄道会社、鉄道企業集団の2021年度及び2022年度第1四半期の決算数値、開示データを中心に、そのほか、住民基本台帳等の公的諸統計や公開され ているモバイル位置情報データ等の統計資料に加えて、鉄道事業・鉄道企業集団への影響を再論することとしたい。
「DMV」誕生の秘話 - いかにして「DMV]は生まれた! -
  
柿沼 博彦かきぬま ひろひこ:北海道星槎学園 道都大学客員教授 元北海道旅客鉄道株式会社会長

 昨年末、2021年12月25日のクリスマスのこと...。四国は徳島県南東に位置する阿佐海岸鉄道(第3セクター)と高知県東洋町をチョット不思議な乗り物が 走り始めました。線路を走っていたかと思えば、ある時は道路を走っています。なんとも不思議な乗り物です。線路と道路の2つのモードを走ることが出来 ることからデュアル・モード・ヴィークル略称「DMV」と呼ばれています。この「DMV」はかつてJR北海道が地方交通線の救済策として開発しましたが、本格的な実用化に至らず約10年間お蔵入りしていました。
 それが昨年末から阿佐海岸鉄道で本格的な営業運行が開始されました。この種の乗り物は、今から遡ると約90年以上前からイギリス・ドイツ・オーストラリアなど世界の国々で、さらには日本でも旧帝国陸軍・旧国鉄などで開発・試行 が試みられましたがことごとく失敗が繰り返され、本格的な営業に成功した例がなかった夢の乗り物です。 この「DMV]が実用化(営業)に近づけた最大の要因は、一つは線路と道路の双方向の乗り換えがわずか数秒の速さ(線路から道路へは2〜3秒、道路から線路へは7〜15秒) で実現できたこと、もう一つは線路上での走行速度がローカル線並みの約60〜70Km/hまで走行可能となっていることです。
 以下、本論は「DMV」誕生から成功に至った秘話を開発プロセスと発想の転換・ひらめき・非常識への挑戦・逆転の発想などの思考過程と技術的視点をたどって解説します。
世界で初めてDMVを本格的に営業開始した阿佐海岸鉄道(株)
  
脇谷 浩一わきや こういち:徳島県 県土整備部県土整備政策課 政策調査幹
      前徳島県 県土整備部次世代交通課 新技術鉄道担当 副課長

 阿佐海岸鉄道株式会社は、鉄道事業と一般乗合旅客自動車運送(バス)事業を一つの車両で提供可能なDMV(Dual Mode Vehicle デュアル・モード・ヴィークル)を、2021(令和3)年 12月25日に、3台の車両で、世界で初めて本格営業運行を開始しました。
 徳島県は、阿佐海岸鉄道株式会社の筆頭株主として、隣接の高知県、及び沿線市町自治体と、地域の継続的な旅客輸送の在り方を協議し、今回のDMVの本格的な営業開始にいたりました。
 以下に、会社発足からの歩みを記述いたします。
JR発足以降の奈良線(京都駅〜木津駅)輸送改善の歩み - ローカル線から都市型路線へ、地域と一体の挑戦 -
  
畑中 克也はたなか かつや:西日本旅客鉄道株式会社 建設工事部 技術理事 建設工事部長
岡田 亮兵おかだ りょうへい:西日本旅客鉄道株式会社 建設工事部 課長
杉崎 幸弘すぎさき ゆきひろ:ジェイアール西日本コンサルタンツ株式会社 事業推進部 次長
       前西日本旅客鉄道株式会社 建設工事部 主席
水野 恵介みずの けいすけ:西日本旅客鉄道株式会社 大阪工事事務所 総務企画課 課長代理
       前西日本旅客鉄道株式会社 大阪工事事務所 施設技術課 課長代理

 JR奈良線(以下、「奈良線」という)は、東海道線京都駅から関西線木津駅(京都府木津市)に至る延長34.7Km、19駅(2022(令和4)年)を有する路線であり、京都駅から木津駅に至る列車のほとんどは、木津駅から関西線に乗り入れ2駅先の奈良駅まで直通運行している。
 沿線には桜や紅葉の美しい東福寺、関西最大の初詣参拝者を集める伏見稲荷大社、明治天皇を祀る桃山御陵、世界遺産であり藤原頼道が極楽浄土を再現するため建立したとされる宇治の平等院及び国宝鳳凰堂といった歴史的名所の多い国内有数の観光路線である。
 また、京都の中心部から20Km圏内に位置する京都府南部の京都伏見区、宇治市、城陽市等の京都都市圏の郊外の主要都市を結ぶとともに、外縁部において、関西文化学術研究都市等の大規模な都市開発も進捗しており、都市鉄道の性格も併せ持っている。
 さらに、京都駅で東海道線等と、木津駅で関西線・片町線と接続することから大阪・京都・奈良に及ぶ広域的な環状ネットワークの一部を形成する路線でもある。
 京都府においては、山陰線とともに府域の南北軸を形成する縦貫幹線鉄道として、持続可能で魅力と活力のあるまちづくりに大きく寄与する重要な社会資本整備の一つに位置付けられている。
 JR西日本は、会社発足以降、日本を代表する国際観光都市である2つの古都、京都と奈良を結ぶこの路線の輸送改善に地域とともに取り組んできている。
 本稿では、奈良線の成り立ちを振り返るとともに、これまで進めてきた第1次、第2次輸送改善、及び現在2023(令和5)年春の開業を目指し鋭意事業を進めている第3次輸送改善の概要を記し、JR西日本発足後の奈良線が如何にして地域とともに発展してきたのか、その歩みを紹介する。
 
京阪神地区を走行する新快速電車の半世紀を超えた歩み - 西日本旅客鉄道株式会社編 -
  
前田 昌裕まえだ まさひろ:公益財団法人交通文化振興財団 専務理事 京都鉄道博物館 館長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 運輸部 次長
福田 稔ふくだ みのる:株式会社JR西日本中国メンテック 新幹線事業部 次長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 運輸部 担当部長 兼 輸送計画課長
大森 正樹おおもり まさき:関西工機整備株式会社 取締役 印刷事業部長
      元西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部 車両部 車両設計室 課長

 西日本旅客鉄道株式会社(以下、JR西日本)の近畿圏エリア路線の京都駅、大阪駅、三ノ宮駅、神戸駅の4駅を貫いて走行する新快速電車(以降、新快速)は、日本国有鉄道(以後、国鉄)時代の大阪鉄道管理局(以後、大鉄局)が、速達性を お客様に提供し、国鉄路線と並行する私鉄との競争力を高めるために計画され、1970(昭和45)年10月1日に京都駅〜西明石駅間で走行を開始しました。
 以降、国鉄・JR西日本を通じて、適宜に車両の入れ替え、新製車両の投入を行い、運行区間・停車駅・列車本数・1編成車両数等々の拡大、駅間所要時間の短縮に努め、現時点では、大阪駅を中心にして京阪神地区を走行し、北は 福井県の北陸本線敦賀駅、東は滋賀県の東海道本線米原駅、西は兵庫県の山陽本線相生駅を経て上郡駅及び赤穂線播州赤穂駅を運行区間としています。1列車の最長運転区間は敦賀駅〜播州赤穂駅間(米原経由)の275.5Kmです。新快速電車は、JR西日本の近畿エリア路線の列車群の中核に位置しています。
 以下に、半世紀を超えて歴史を刻んできた新快速電車の、1987(昭和62)年4月1日から現在までのJR西日本における歩みを紹介します。
[近代日本の技術の礎を築いた人々]  第8回 技術の社会貢献に尽くした稀有の国家的実業家 - 渋沢栄一
  
大山 達雄おおやま たつお:政策研究大学院 名誉教授

  渋沢栄一は、NHKの大河ドラマ「晴天を衝け」(2021年2月から12月にかけて放送)でも取り上げられたように、わが国の一般市民の間に最もよく名前の知られた明治期の実業家の一人であると言っても過言ではないであろう。本連載では明治初期においてわが国の技術開発の礎を作り、その後のわが国の産業発展、振興に貢献した人々を取り上げてきた。個人を取り上げる最後に当たって 技術というものが実際の社会の中で利用され、一般市民の生活向上に役立ってはじめてその貢献を認められ、価値を認識され、そしてその重要性を評価されることになるということを考えるとき、渋沢栄一の名前は忘れてはならない人物であると思える。そのような意味から、本稿で渋沢栄一を最後に取り上げることにした次第である。
[鉄道施設探訪記]  第28回 神田駅の百年史(上) -神田駅の開業と初代神田駅-
  
小野田 滋:公益財団法人鉄道総合技術研究所 アドバイザー 

 鉄道にまつわるさまざまな施設を紹介するシリーズである。多くの鉄道施設は見慣れた風景の中にとけこみながら、さりげなく存在している。このシリーズでは、そうした日常風景に埋もれた「逸品」にスポットをあて、その「真価」を紹介している。ここに登場する鉄道施設は、誰でもが知る鉄道施設ではなく、 むしろ知る人ぞ知るような物件ばかりだが、このシリーズによって黙々と鉄道輸送を支え続けてきた鉄道施設の存在を再認識していただければ幸いである。                  

 東京駅をはさんで、南側の有楽町駅と北側の神田駅は、駅本屋と呼ばれるいわゆる「駅舎」を持たない。鉄道駅は、新橋〜横浜の開業以来、駅舎を設けることが原則で、駅舎には待合室や出札窓口、改札口、広間、駅事務室、手小荷物扱所、売店などが設置されて接客や鉄道業務にあたったが、1910(明治43)年に開業した有楽町駅と1919(大正8)年に開業した神田駅には駅本屋が設けられなかった。理由として考えられるのは、両駅とも電車列車しか発着しない駅であったため乗降客数 も限られ、長距離列車の発着もないため広壮な待合室は必要ないことから、高架下のスペースに業務施設を収容して電車列車にふさわしいコンパクト駅を実現したということになる。
 有楽町と神田駅は、商業地として恵まれた環境に立地していながら、完成後も隣接して駅本屋や駅ビルを建てることなく現在に至っており、今も高架駅としての機能を維持し続けている。今回はこのうち神田駅を取り上げて、狭隘な駅空間を巧みに利用してきたその歴史を振返ったみたい。
 
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