大阪駅西側エリアの開発
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寺崎 徹:日本郵政不動産株式会社 開発本部 大阪営業所 次長
浮田 知義:大阪ターミナルビル株式会社 開発部 担当部長
1874年(明治7)年、水運により発展してきた商都大阪の新たな物流の要として、現在の大阪駅より西に、鉄道の玄関口である大阪駅は生まれた。
以来、この地は様々に変化を遂げながら、いつの時も人々をここから送り出し、迎え入れ、日々の営みを支え、幾多の物語と歴史を紡いできた。その誕生から150年となる2024年、
大阪の発展の礎となり、発展に寄与してきた大阪駅は、まさに原点ともいえる西側へと拡大する。
本稿では、昨年(2023年)3月18日に新設された大阪駅西口改札と直結する南北両側の開発「JPタワー大阪」(日本郵便株式会社・大阪ターミナルビル株式会社・株式会社JTB)
と「イノゲート大阪」(西日本旅客鉄道株式会社・大阪ターミナルビル株式会社)の概要について紹介します。
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イギリス植民地時代のインド鉄道の歩みとその整備効果(第一部)
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高津 俊司:日本コンサルタンツ株式会社 特別顧問
第一部 インド鉄道の黎明期
1853年、インドではアジアで最初の鉄道が開業した。その後、広大な国土に鉄道網が急速に整備され、そのために大量の資金、人材、技術が投入された。
その鉄道建設の資金調達や整備主体および鉄道運営形態は、各時代により民間や国など多様な変遷をたどってきた(例えば資金は元利保証制度による民間資金や公的資金、整備主体は民間会社やインド政庁などの公的主体
、運営形態も民間会社や公共主体など)。
これらの鉄道は当初イギリスの植民地政策を遂行する手段として、イギリスの資本、技術で整備されたが、独立後はインドの統一的な国家が成立するための重要なインフラとなった。
現在のインド国鉄は鉄道省傘下で路線延長6万8,000qを超え、正規職員数は約120万人で、国土の基幹交通機関として人と物を輸送し、人々の生活と国民経済を支えている。
本稿はイギリス植民地時代のインドの鉄道の歩みをたどり、その整備効果などについて述べる。全体を3回に分割して、第一部の今回はインド鉄道の黎明期から1868年までの歩みについて、第二部は1869年から1947年の独立
までのインド国鉄の歩みについてとりまとめ報告する。第三部は、イギリス植民地下のインド鉄道の鉄道建設技術の進展、人材育成と技術移転、鉄道整備による経済的・社会的効果について考察する。
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コムトラック(東海道・山陽新幹線運行管理システム)の半世紀を超える歩み -JR東海、JR西日本編-
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山本 博:東海旅客鉄道株式会社 新幹線鉄道事業本部 電気部 担当部長
恵後原 健:西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部電気部 信号通信課(システム) 担当課長
東海旅客鉄道株式会社(以後、JR東海)及び西日本旅客鉄道株式会社(以後、JR西日本)が共同で管理、運営しているコムトラック(COMTRAC:Computer Aided Traffic Control System)は、日本国有鉄道時代の1972(昭和47)年3月
15日の新幹線(東京・新大阪間)の岡山延伸時に初めて導入され、運用を開始しました。
その後、1975(昭和50)年3月10日の博多延伸以降、半世紀の時を超えて機能向上を図り、日本の大動脈を支える東海道・山陽新幹線の高速高密度の列車運転に資するものとなっています。
今回、1987年(昭和62)年4月1日の分割民営化によるJR東海及びJR西日本発足後の好調な経済状況に支えられた輸送量の急激な増加などに対応する第6期システム以降の開発や今後の展望について紹介いたします。
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[鉄道施設深訪記] 第33回 横浜港の鉄道遺産を訪ねる(上)
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小野田 滋:公益財団法人鉄道総合技術研究所 アドバイザー
鉄道にまつわるさまざまな施設を紹介するシリーズである。多くの鉄道施設は見慣れた風景の中にとけこみながら、さりげなく存在している。このシリーズでは、そうした日常風景に埋もれた「逸品」にスポットをあて、その「真価」を紹介している。ここに登場する鉄道施設は、誰でもが知る鉄道施設ではなく、
むしろ知る人ぞ知るような物件ばかりだが、このシリーズによって黙々と鉄道輸送を支え続けてきた鉄道施設の存在を再認識していただければ幸いである。
今回は「横浜港の鉄道遺産を訪ねる」と題し、開港165年を迎える横浜港における鉄道橋梁群を中心とした鉄道遺産を2回にわたり紹介します。
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[速 報] 鉄道統計(令和4年度)JR・関連機関
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鉄道に関する基本数値(社別の線区数、駅数、運輸成績、社員数、損益計算書、貸借対照表等)を各種資料から集約した統計資料です。 JR各社だけでなく、大手民鉄、鉄道建設・運輸施設整備支援機構の情報も一部掲載しています。
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